かつて日本で一番短い路線の第三セクター鉄道として愛されました
元々は国鉄三木線だったのですが、第三セクター化され 三木鉄道となりました。
国鉄時代は加古川駅から直通列車が走っていたようなのですが、三木鉄道になってからは厄神駅での乗り換えとなり、不便になりました。
それと住民のおもだった目的地はやはり京阪神であり、神戸へは神戸鉄道が直通で行けるため 年々乗客を減らし、ついに 2008年4月1日に全線が廃止されました。
鉄道オタクにはピンとくる! 駅舎の位置が変?
現在の三木鉄道三木駅跡地の航空写真
これを見ても普通の人なら何が変かわからないと思うのです。
しかし鉄オタを長年やっていると、とんでもないほどの違和感を感じます。
駅舎は当然駅前広場の方に入り口があります。ほとんどの駅舎はそのまままっすぐ進み改札を通ってホームに出るのです。
しかしこの位置に駅舎があったのでは線路やホームのスペースがありません
一般的な昔ながらの駅の構造
駅前の広場から見た駅舎
そこで昔の航空写真がないか調べてみました。
私の航空写真が載っているサイトです。なかなか便利ですよ。
このサイトで昔の写真を見てみると、やっぱりそうだった!
これだと分かりづらいので、解説を入れると・・・
こんな感じかなと思います。
明らかに駅舎は南へ移動してますね。
しかも今残っている観光トロッコ用の線路は、かつての機回し線だったようですね。
機回し線ってなに?
たぶんここで機回し線ってなに?と思っておられる方が多いと思います
昔蒸気機関車やディーゼル機関車が客車を引っ張っていた時代、三木駅のような終着駅では、機関車を先頭に付け替えなければいけません、そのための機関車が通る線路です。
図で解説すると
ざっとこんな感じです。
三木線には小さな機関車 C 11などが配備されていたでしょうから、機関車の向きをひっくり返す必要はありませんが、炭水車をつけたような機関車は、後ろ向きに本線を走れませんので機関車の向きも変えなければいけません。
その時に使うのがターンテーブル(転車台)ですが、文章が長くなりすぎるのでまた気が向いたら解説します。
1963年の解説図を、現在の写真にかぶせてみると
出発信号は当時のままの位置
あくまでも推測の域ですが、こんな感じじゃないでしょうか。
出発用の信号が二つ残っているのですが、どうやらこの図からすると当時のままの位置で保存されているようです。
プラットホームの屋根も保存されている
しかしこのローカル駅の旅客用プラットホームの屋根にしては幅がありすぎるような気がします(勝手な推測ですが)。
もしかすると駅前広場に面したところに建っていた貨物用のプラットホームの屋根ではないかと思ったりします。そしてこの駅が現役時代、貨物輸送が無くなってからは自転車置き場になっていたのではないでしょうか。(これも勝手な推測です)(^_^;)
駅舎は資料館に
改札口はこんな感じ
この踏切はもっと駅舎側にあったと思います。でも晩年はディーゼルカーでの運転だったので、この踏切が降りることはなかったのではないでしょうか。
終着駅としての貫禄を備えた駅舎です
駅前広場には花が植えられ、綺麗に整備されています。
まるでタイムスリップしたかのような光景が、目の前に繰り広げられておりました
先ほどのおばあさんは、このバスを待っていたようですね。写っている人はこのバスから降りて来たお客さんです。
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